僕のことですよ。と
李という名前で、皆様に覚えていただきやすくて、とても楽です 笑
ですが、やっぱりちょっと気になりますよね。僕も気にしています。。。
ということで、あまり聞きにくい、こちらも普段語らない事をまとめてみます。
基本は僕のことを知ってもらいたい(誤解なく)
あと、韓国人の思考(僕の個人的視点)が知りたい方、どうぞ!
僕の生い立ちをつらつらと
生まれ:新潟県南魚沼郡六日町(日本生まれってことです)
おじいさんの世代が日本に渡ってきた、いわゆる在日3世です。
六日町という所はそれなりに田舎で、大阪とかと違って在日コミュニティーがあるわけでもなく、周りは普通に日本の人達ですから国の違いとか差別とかは全く感じずに育って来ました。
小学校の高学年までは。。。
昭和の時代ですから、子供はなんの悪気もなく、そして李という名前が珍しいのか、親からのちょっとした家庭の会話に影響されるせいか、同級生からちょっとしたいじめに会い、まあまあ悩みましたね。死にたくなるほどではなかったですけど。
家庭内の事(親からの教育視点ですが)、家には50音表のような韓国語のやつが貼ってあり、それなりに韓国のことも教えたかったんでしょうね。言語的には挨拶言葉、”おはよう”、”ありがとう”などは韓国語を仕込まれてましたが、普通の会話は日本語です。アンニョンハシムニカ!
それよりも儒教的しつけが厳しくて、封建的なわけです。
ご飯を食べるときは必ず父親が先。”いただきます” ”ごちそうさま”のご挨拶は父親に対して土下座して、育てていただいている感謝を示す。戦前の人ならあったんでしょうか?同世代でいます?
あまりに叩かれすぎて、おかげで色んな感情に歯止めがかかる、悪いことも一歩手前でストップ、やりたいことも顔色を伺う、そんなふうに育ったという自己分析。
中学校から民族系学校へ
小6、ついに感情爆発。小学校のいじめに耐えかね、また親から離れたい気持ちもあり、民族系の学校(在日だけが集まって韓国朝鮮側の教育を習う学校)に転校希望。中学校からは新潟市の朝鮮系の全寮制学校に通いました。
これで気持ちが楽になるかなあと思いましたが、人生そう甘くありません。
同じような子が集まっているわけです。世代間の負の連鎖により(封建的な教育で育った子は子供ながらも下の子を厳しくしちゃう文化)気が弱い子はまたしても集団の中でやられちゃうのでした。
この学校を選択したのは自分ですから、逃げ出すことも出来ずこの中学校を卒業後、今度は茨城県の民族系高校へ進学。
さあ、さらにパワーアップですよ!
なぜ、茨城県? 新潟には民族系の高校はなく、同じように高校のない県の受け入れ先として茨城県に群馬、栃木、新潟の子が集まっていたのでした当時。
ちょっと良いことも言っておくと、全寮制はスポーツ活動も基本的に全員参加。僕は中学校からサッカーを始めて(他に選択肢なし)うまくなるとやっぱり楽しいので高校でもサッカー部(高校では野球や体操などもありましたが)。高2でサイドバックでレギュラーになりましたよ。と
まあ、シゴキとかヤキとかさんざん喰らいまして、精神的にもずいぶん成長しました。笑
それはみんな平等?にやられてましたから、あんまり苦に感じませんでしたけど、高校生の全寮制というのはいろんな事件も起きまして、高2の秋のこと
決定的な事件が。。。
全寮制なので仕送りが親から送られてくるわけです。
食料はクローゼット的な個人スペースに置いておくわけですが、手つきの悪い子は人の物を盗むんですね。
よくやる子は大体限られているんですが、とある日 ”またやられたか~”と思い、怪しい部屋へ乗り込み ”ふ ざ け ん な” と。こちらも気が弱いとはいえ、サッカーでずいぶん鍛えられましたから、いざとなれば力に訴えることは出来るわけです。
そしたら、相手(5人ほど)から出た言葉は ”そんなに怒ってるけど、お前の物パクったことないやつなんで、あいつとあいつぐらい?あきらめろよ~(笑)”みたいな感じでね。
もうその時は、涙も出ないで、ただただ ”ほんとコイツらグズだな”って
高3で高校はそのままでしたが、寮は出ました。
民族学校の進学先は100%朝鮮大学校(東京都小平)というとこで、そこに進学なら退寮の理由にならない。
日本の大学に行くから予備校行くよって、家庭の事情っぽく演出して出ていきました。
まあ、それなりに本気で大学には行きたっかったんですけど、受験勉強もうその時にはついていけなかった!
皆さん、当然に頑張りましたよね。僕も時間数それなりにやりましたけど、追いつけなかった。
受験勉強としては無駄なカリキュラム多かったですし、高校の先生は日本の受験ノウハウ全く持ってなかったし。
ぜんぜん、何からやったら合格できるかわからんって感じ。
その後もフツーじゃない話は、あるんですがこの一大成長記この辺で終了。
何を語りたかったかと言えば。。。
僕らの時代、在日系は封建的な教育や貧しさもあり、心が病んでいて
あくまで今との比較論ですが、でも控えめに言っても ”ろくでもねえ”人が多かったなあって事です。
学校教育の問題も根が深くて、僕は韓国系(おじいさんの出身は韓国)と言いましたが厳密には組織は韓国系と北朝鮮系に別れていて、学校組織をしっかり作っていたのは北朝鮮系だったんですね。
北朝鮮といえば、今でこそ金正恩ですが、金日成 → 金正日 → 金正恩 で、1980年代はまだハングリーさや国同士の関係、ネットもない時代ということもあって、洗脳し放題です。偉大なる首領さま。
すべての教育は洗脳である(堀江貴文)も納得ですよ!
今でこそ歴史問題って言ってますが、子供に事実と違う歴史を教えているわけですからね。
まあ、初めは祖国を開放した金日成を神聖化したい、美談化したいってところだったんでしょうが。
例えば話、金日成が軍隊を率いて最前線で戦って連戦連勝!とか教えるわけですが、そんなわけ無いじゃん!中世の戦いじゃないんだろ。指導者即死だよ。って 笑
事実、以後大人になって勉強すると、その時期はウラジオストクに逃げていたとか、ソビエトとの関係があってこそ戦力バランス取れていたとかわかってきて、やっぱり ”騙されていた!”とか気づく訳です。
当時の大人たち(教員)も、もちろん知っててやっているんですね。
母国からの方針があって、日本の組織体制を守るためには、誰を悪者にしなきゃいけないか設定して、もちろん日本側の協力組織もあるわけです。社会党って言いますけど。笑
彼らも自分たちの組織(もしかしたら、そんな理想論もなく、単純に自分たちが食べていくネタとして)を守るために、組むんですね。
社会人になりまた絶望します。身近な人達は嘘つきだったんです。
挫折や失敗は早いほうが良いと言いますが、そのとおりでして
今、騙せれることなんとも思いませんねえ。
いや、僕は騙しませんよ!!笑
まあ、人の評価は別かもしれません。 僕と接して傷ついた方。ごめんなさい。悪気はないんでいつでもふざけんなって怒ってください。
そんなこんなで、大人になった僕ですが30歳くらいの時、日本国籍ゲット
韓国系日本人として一生懸命生きています。
帰化申請では名字を変えて全く日本人っぽく生きれる道もあったんですが、これはやめてそのまま李で今いるのは、正解でした。
”李”という男がいて ”何者?”って近づく人、 ”謎!”ってとりあえず離れる人 どんな比率ですかね?
今現在、僕と抵抗なく会話してくれる方。ありがとう! ありがとう! 今泣きそう!(書いててね)
僕の周りに在日系の人はいなくなりました(僕が離れた)
国籍とか関係ないと思います。国があって国益を守るのはしょうがないですね。
韓国の今の感じも大体こんな感じだと思うんですね。
ただ、彼らは自分たちのアイデンティティを守るために、あまりにやりすぎです。
韓国人にも正しく歴史を検証して、提言する人がいるようですが教授レベルで発信したら刑務所行きです。
韓国(中国もそうですが)子供の頃から過度に間違った反日教育を受けていますから、それをやめない限り今の関係は一生続くと思います。
政治的な話はタブーと言いますが
反日利権が強すぎるのが原因だと思います。
数でいうとごく一部の人間が起こしているいわゆるクレーマー問題だと思うんですけど、それに真面目に対応しちゃったら業績悪くなちゃったって関係に似ています。
日本は毅然とした対応をすべきです。日本の関係が切れれば韓国はすぐに立ち行かなくなり、経済が成り立たなくなると若者の不満が爆発して政権が崩壊。クレーマーの意見は後回しになり、強制的にせよ修正が始まると思いますけど、問題は日本国内でも利権がありそこまで出来ない理由がありそうなことですね。
最終的には敵は味方の中にいるみたいな話です。
僕はそんなスタンスですから、韓国のことや北朝鮮のことを言われてもなんとも思いませんので、安心して嫌韓ネタで盛り上がっていいですよ 笑
ぜんぜんポジショントークではないです!
国籍はですね、”何人?” ”地球人!” って話、まあまあそんな感じでいいと思うんですけどねえ。
終わりです。ありがとうございました。今後共よろしくお願いいたします。